坂本龍一 がん悪化ステージ4も「最後の瞬間まで音楽を作れたら」、
闘病の経過や現状を明かしたのは、同誌で始めた新連載「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」。第1回の題名は「ガンと生きる」で、この1年のうちに大小6つの手術を受けたことを告白した。
プロフィール
出生名 坂本 龍一
生誕 1952年1月17日(70歳)
出身地 東京都中野区
担当楽器 キーボード、シンセサイザー、ピアノ、オルガン、ボーカル、ドラム
レーベル 日本コロムビア / Better Days(1978年 – 1979年)アルファレコード(1978年 – 1983年)CBS・ソニー(1979年)MIDI / SCHOOL(1984年 – 1986年)CBS・ソニー / TERRAPIN(1987年)ヴァージン・レコード(1989年 – 1991年)東芝EMI(1991年、1993年)FOR LIFE / güt(1994年 – 1997年)タワーレコード / güt bounce(1996年 – 1997年)ワーナーミュージック・ジャパン(1998年 – 2006年)commmons(2007年 – )
共同作業者 りりィ&バイバイセッションバンド細野晴臣高橋幸宏イエロー・マジック・オーケストラ (YMO)矢野顕子( – 1993年まで)忌野清志郎デヴィッド・シルヴィアン (ウィキペディア引用)
◆坂本 龍一(さかもと・りゅういち)1952年1月17日、東京都生まれ。70歳。76年に東京芸大の大学院を修了。78年10月ソロデビュー。細野晴臣、高橋幸宏と3人組・YMOで同11月にデビュー。83年に映画「戦場のメリークリスマス」で俳優としても注目を集めたほかテーマ曲がヒット。88年に映画「ラストエンペラー」で米アカデミー作曲賞など受賞。99年発表のピアノ曲「Energy Flow」は100万枚を売り上げ、インストゥルメンタル曲(歌なし)として史上初オリコン1位に。
癌 転移 ステージ4を発表
音楽家の坂本龍一(70)が、直腸ガンおよび転移巣の手術を受けたことを発表したのは、昨年1月のことだった。2014年に患った中咽頭ガンはその時点で寛解していたが、2020年に新たにガンが発見された。
当時のコメントには「すばらしい先生方との出会いもあり、無事手術を終えて現在は治療に励んでいます」とあり、さらに「治療を受けながら出来る範囲で仕事を続けていくつもりです」と仕事への前向きな姿勢を示していた。
しかし、実際の病状は、こうした前向きなコメントからは想像できないほど深刻なものだったようだ。診察した医師の口からは「余命半年」といった衝撃的な言葉まで飛び出していたのである。 坂本が開始した連載「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」には、この間の経緯や心境が本人から詳しく語られている。以下、引用
「何もしなければ余命半年」
坂本が直腸ガンを告げられたのは、かかりつけのニューヨークの病院でのことだった。 「2014年に発覚した中咽頭ガンはその後、晴れて寛解したものの、2020年6月にニューヨークで検査を受け、直腸ガンと診断されてしまいました。 前回、放射線治療がうまくいったので、ニューヨークのそのガンセンターのことを信頼していました。今回は放射線治療と並行して抗ガン剤も服用しました。
しかし治療を始めて数ヶ月が経っても、なかなかガンが消えません。 同じ年の12月に日本での仕事があり、その頃、物忘れの多さに悩んでいたこともあって帰国ついでに脳の調子を調べておこうと思い、11月中旬から2週間の隔離を経て人間ドックを受けました。そうしたら、脳は正常だったのですが、あろうことか別の場所で異変が見つかってしまった。直腸ガンが肝臓やリンパにも転移しているというのです。
この時点で放射線治療が終わって3ヶ月は経っていましたが、なぜかニューヨークの病院では転移の事実を告げられていませんでした。少なくとも9月末には転移の根っこは見えていたはずなのに。当然、転移自体がショックなことだけど、全米でも一、二を争うガンセンターが見落としていたのか、あるいはどういう理由でか、ぼくに黙っていたことに対して、一気に不信感が芽生えました。
日本の病院で最初に診てくださった腫瘍内科の先生には、『何もしなければ余命半年ですね』と、はっきり告げられました。かつ、既に放射線治療で細胞がダメージを受けているので、もうこれ以上同じ治療はできないと。加えて彼は、『強い抗ガン剤を使い、苦しい化学療法を行っても、5年の生存率は50%です』と言います。きっとそれは、統計に基づいた客観的な数字なのでしょう。
ぼくは『これからは“ガンと生きる”ことになります。もう少しだけ音楽を作りたいと思っていますので、みなさまに見守っていただけたら幸いです』というコメントを発表しました。“ガンと闘う”のではなく、“ガンと生きる”という表現を選んだのは、無理して闘ってもしょうがない、と、心のどこかで思っているからかもしれません」
連載のタイトル「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」は、彼が音楽を手がけた映画『シェルタリング・スカイ』に出てきたポール・ボウルズの言葉に影響されて、最近よく思うことなのだという。手記の中では、術後のせん妄や、死についての考え方から、音楽論、代表曲『戦場のメリークリスマス』についての今の気持ちなど、70歳となった坂本の思考がオープンに語られている。
6回にわたる手術
結局、坂本は別の病院を受診する。しかし、そこでも深刻な状況であるという判断は同じだった。 「紹介先の病院でセカンドオピニオンを聞いたところ、転移があるという時点で、ステージ4に認定されてしまうそうなんですね。しかもその後の検査で、肺にもガンが転移していることがわかりました。はっきり言って、絶望的な状態です。
そして、年が明けて2021年1月に、まずは直腸の原発巣と肝臓2か所、さらにはリンパへの転移を取る外科手術を受けることになりました。大腸を30センチも切除するという大掛かりなものです。手術前は意外とヘラヘラしていて、そのときの写真が残っていますが、手術室へ向かうドアの前でぼくは家族に向かって『行ってくるねー』と、呑気に手を振っています。
当初、12時間ほどを予定していた手術は、結果的に20時間もかかりました。公式HPで「無事手術を終え」とコメントしたのは、この直後ということになる。しかし、実際の治療はこれで終わり、とはならなかった。
「この2年のあいだに、大小あわせて6度の手術を受け、今のところ外科手術で対処できるような腫瘍は全て取り終えたという状態です。大きなものとしては、2021年10月と12月の2回に分けて、両肺にも転移していたガン腫瘍の摘出手術を行いました。それぞれ3~4時間くらいだったはずです。
ただ、これでようやく最後だと思ったら、どうもまだ病巣は残っており、さらに増殖しているらしい。先生からそう聞かされたときは、さすがにガクッときました。あとはひとつひとつ手術で取るのではなく、薬で全身的に対処するしかないそうです。終わりの見えない闘病生活ですね」
直腸がん
大腸の最も肛門に近い部位である直腸にできるがん。国立がんセンターのホームページによると、やや男性に多い傾向にあり、30代前半から増加して、高齢になるほど罹患率は高くなる。早期の段階では症状はないが、進行すると血便や下血、便通異常などがみられる。内視鏡手術のみで完治する場合もあるが、がんの進行度によって切除手術、薬物療法、放射線治療なども組み合わせた治療が行われる。手術で直腸と肛門を切除した場合には人工肛門(ストーマ)を作ることがある。
「なんてすてきな70歳なんだろう!」 坂本美雨
ミュージシャン・坂本龍一と矢野顕子の長女で歌手の坂本美雨が自身のインスタグラムを更新に70歳の誕生日を迎えた父の龍一を祝福した。
美雨は「Happy Birthday なんてすてきな70歳なんだろう!」とコメントし、幼少期の親子ショットを披露。「love you always」(いつもあなたを愛しています)と父への愛の言葉を贈った。
コメント欄にはフォロワーから「なんて素敵なツーショット!」「歳を重ねてもいつまでもカッコいい教授です」「お父様お若い」「なんと70歳になられたのですね。お誕生日おめでとうございます」などの声が集まっている。
~早稲田大学国際文学館 キャンパス・ライブ~
坂本美雨 @ The Haruki Murakami Library
早稲田大学国際文学館(村上春樹ライブラリー)は、国内外に開かれた「文学の家」を目指し、文学や音楽などの各種イベントを開催し、みなさまと語り合い、発信する場を作ってまいります。
今回は、開館以来、ラジオ番組で当館のイベントを紹介いただき、たびたびイベントで司会もおつとめいただいた坂本美雨さんに、ミュージシャンとして登場いただきます。当日の進行と対談のお相手は、坂本美雨さんとともにラジオ番組のパーソナリティをつとめられた、作家の小川哲さんです。
音楽を作り続ける坂本龍一 私は待っている。これからも。

坂本は現在、日本の自宅マンションで生活している。そして坂本は、プライベートでも大きな決断を下していた。
過去に2回の結婚と離婚を経験している坂本には、現在、4人の子供がいる。東京藝大在学中に結婚した一般女性との間に長女。1982年に結婚した矢野顕子(67才)との間には矢野の連れ子と、ミュージシャンの坂本美雨(42才)。そして、現在のパートナーであるA子さんとの間には息子が生まれている。
「A子さんとの出会いは1987年。彼女は舞台美術を手がけるアーティストで、坂本さんがツアーコンサートの美術担当に抜擢したことがきっかけでした。1990年には2人の間に子供ができましたが、矢野さんは2人の交際を認めつつも、離婚はしなかった。
矢野さんと別居したのは1992年、正式離婚は2006年ですが、その間もA子さんとの関係はずっと続いていました。2014年のがん判明からこれまで坂本さんの闘病を支えてきたのはA子さんです」(芸能記者)
もし未婚のまま自分が死ねば、遺産の相続などさまざまな問題が発生しかねない。そのため坂本は、近々A子さんとの入籍を考えているという。A子さんとも子供たちとも、少しでも長くいたい。曲作りのためにも、1分でも長く生きたい。だが葛藤もある。
医療の発達により人間の寿命は画期的に延びた。日本では「人生100年時代」と当たり前のようにいわれるようになったが、人類の長い歴史からみれば、ごく最近のことにすぎない。
「坂本さんはつらい治療を行ってまで、無理して命を延ばす必要があるのか。自然に任せて、最小限のケアだけで最期を迎えることが人間の生き方なのではないかという考えも持っています。その一方で、自分は外科手術や化学療法など、あらゆる手段を尽くしてきた。現実を受け入れて達観しているとはいえ、死に方に関する考え方の矛盾に悩むこともあるようです」(前出・坂本の知人)
がんと闘うのではなく、がんとともに生きる──覚悟の中で坂本はどんな音楽を紡ぐのだろう
まだまだ頑張れる 私のヒーロー 坂本龍一 あなたの音楽にこれからも期待しています。まだまだ新曲を待ちます。