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同じ65歳秋野暢子「終活」を語る 日本尊厳死協会への入会

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秋野暢子「終活」を語る 日本尊厳死協会への入会

秋野暢子プロフィール

本名: 田代 暢子 しまだプロ所属 オフィシャルサイトから引用
生年月日: 1957年1月18日
出身地: 大阪府
趣味: マラソン・アイアンガーヨガ・絵画
写経・ブリザーブドフラワー
特技: 料理・ダイエット・健康関係・編み物
資格: 普通自動車免許・スキューバダイビング
NPO法人全国ラジオ体操連盟公認指導者(2012年)
ドクター本間の呼吸筋ストレッチ体操 指導士(2019年)
サイズ: 身長170cm
血液型: A型

大阪ミナミの呉服屋の末娘として生まれる。小学校の学芸会でエンピツの役をもらい初舞台を踏んだ事がきっかけになり演劇の道に進む。
中学、高校と演劇部に在籍。1974年NHK銀河テレビ小説「おおさか・三月(みつき)・三年(さんねん)」のウエイトレス役でデビュー。
1975年NHK朝のテレビ小説「おはようさん」の主役殿村鮎子役に抜擢される。TBSドラマ「赤い運命」では山口百恵と共演し、インパクトの強い役を好演。1986年ヘラルド映画「片翼だけの天使」ではキネマ旬報主演女優賞を受賞。
CD発売、ダイエット本発売やイベント、講演会など多方面に活躍の場を広げている。
また「元祖カープ女子」として、広島東洋カープを応援し続けている。

現在の秋野暢子さん 食道がんステージⅢを告白

秋野暢子さんは私と同じ年齢、現在65歳です。先日ご自身のブログで食道がんでステージⅢを告白されました。ご本人は連日、病床からのレポートを続けている。ショッキングな出来事もつらい治療も、包み隠さずにブログを更新し続けています。

午前4時に起床すると病室のカーテンを開け、美しい朝焼けを眺めて願いを込める。

「今日もいい日になりますように」

《そうなんです。食道がんになってしまいました》

7月4日、秋野は自身のブログに記した。

「彼女のがんは頸部食道がんの重複がんです。転移ではなく、数か所同時にできるがんで、腫瘍は喉と食道に大小合わせて5つあり、ステージIIIとわかりました。医師の告知を受けた秋野さんは悩んだ末に、声を失うリスクのある切除手術を避けて、抗がん剤と放射線治療を併用する化学放射線療法を選びました。生存率は手術に比べて5%ほど下がりますが、治療後の生活の質(QOL)を重視したんです」(秋野の知人)

がんとの壮絶な闘いを、秋野はブログで詳細に報告している。抗がん剤治療による副作用の脱毛を見越し、頭をそり上げた姿を突然ブログに掲載。ファンを驚かせた。放射線治療の副作用に対する備えは苦痛を伴った。

「放射線を照射すると喉が焼けて口からものが食べられなくなることに備えて、胃に穴を開けて、外部から栄養分を補給する胃ろうをつくる施術を受けました。その日の夜にひどい痛みが出て眠れなくなり、痛み止めと睡眠剤を何度も服用して何とか乗り切ったんですが、その後もお腹が痛み、穴を開けた傷口から大量に出血したことをブログに綴りました」(前出・秋野の知人)

私の癒やしワンコショットです。
逢いたいなぁ〜~〜~。千夏、小夏

30回にわたる放射線治療の内容も詳細に記した。

「ブログを3回に分けて更新し、週に5日間放射線治療を受けていること、6週間から8週間かかること、そして治療中は上半身裸になることなど赤裸々に明かしています」(前出・秋野の知人)

《とにかく、体重を維持することが大切》

8月3日のブログにはそう記し、自らの体重も公表した。

《毎朝、計ります。大体51kg〜52kg台を守ってます。今日は52.7kg…増え過ぎても、減らしてもダメなんですね。中々これも大変》

治療が進むにつれ、副作用は容赦なく秋野の体を蝕むようになる。

「抗がん剤治療では点滴で大量の水分も体内に入れるので、手足が浮腫んで夜中に目を覚ますようになり、体重が増加して56kgを超えたこともあったようです。放射線治療後には、首が赤くなって猛烈なかゆみを伴いました。痛みや苦痛を和らげるため、緩和ケアチームのアドバイスも受けています。医療麻薬などが処方されていますが、痛みが完全に取り除かれるかといえば、そうではないようです」(前出・秋野の知人)

秋野はブログに放射線治療で焼けた自身の首の写真をアップして、激痛についてこう綴っている。

《喉に剣山が刺さってる、ような痛みです。色々、痛み止めのお薬を試してるんだけどバッチリ合うものが見つかりません〜。ヤバイです》

秋野暢子「終活」を語る 日本尊厳死協会への入会を告白

秋野暢子さんは60歳の時に大きな決断をされた。

19才の時にNHKの連続テレビ小説『おはようさん』のヒロインに選ばれ、母と一緒に大阪から上京しました。 結婚は25才。11年間の不妊治療と2度の流産の末、36才でようやく娘に出会えました。そんな娘も、大学を卒業して、去年ようやく独立し、家を出て行きました。これもちょうど60才になった年ですね。そこで考えたんです。

これまで、若いときは自分のために、結婚・出産してからは家族のために働いてきた。じゃあ、これからは誰のために働くんだろう、と。そこで、“これまでお世話になった社会のために働こう”と、先ほど言ったような活動にさらに力を入れていこうと思ったんです。

娘が家を出て、今は生まれて初めてのひとり暮らしを楽しんでいます。好きな時間に食べたいものを食べて、見たいものを見る。楽しいですよ~! すごく楽しい。最高! こんなに自由な生活があったのか!って(笑い)。ワンちゃんとネコちゃんも一緒で、今とっても幸せです。

「終活」で娘のためにできること ”延命拒否””断捨離”…

活動の軸足が変化してきたり、娘が独立したり、環境の変化もあるなかで、還暦を機に終活を始めました。その1つが、日本尊厳死協会への入会です。

23年前、母は78才で亡くなりましたが、元気なうちから「絶対に延命しないで」と口にしていて、母もまた60才で尊厳死協会に入会していたんです。母が危篤状態になった時、母の意思を尊重して延命治療を断ったのは私です。ただ、本当によかったのかと思い悩むこともありました。

でも、60才になったとき、ハッとわかったんです。なぜ母がそのような最期を希望したか。それは他でもない娘に迷惑をかけたくなかったからだった。

私も母と同じ、娘に同じことをしてあげたい、と60才になって思い立ったのです。

断捨離を始めたのも、娘に迷惑をかけたくない思いから。ひとり暮らしに必要ない物は処分したい。少し前にお洋服を半分にし、次は食器の断捨離です。ひとり暮らしなんだから、お皿が2~3枚あればいいですもんね(笑い)。

老いや死は自分の力で逆らえないものですから、私は怖くありません。それよりも死の準備を整えて、健康第一でポジティブに過ごすことが大事だと思っています。

人生100年も夢じゃない時代。あと40年生きられたら何を見られるのかな?って、想像するとワクワクします。

※女性セブン2018年3月29日・4月5日号

私見

延命治療がふさわしいのか、というのはその時にならないと分からない上に、自分の本当の意見が発言しづらくなる。予め取り決めがあれば、それに従うという選択肢が生まれる。この違いは大きい。
彼女は早めの決断だけれど、ぼんやりと方向性を考えるのは誰でも必要なのでは。

秋野さんは、自分の意志を明確にした。大切なことだと思う。私も同じ選択をしたい。

ただし、娘の為とか、残された家族の為といううことは一切言わないでおきます。残されたほうは重荷に感じますからね。私は自分のために尊厳死、治療をしないと言うことを明確に残したいと思う。実際はその時にならないと思わないのかもしれないが。尊厳死協会って何なのかはよくわかりませんが。

秋野さん そんなことより一生懸命治療して復活をお願いします。あなたは我々の希望の星でもあるのだから。

秋野さん がんばれ。

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